思い出の建物と土地を明け渡した日

もう随分と遠い過去になってしまいましたが、
3月29日は、私にとって忘れることの出来ない日のひとつです。
この日は、横浜にあった母方の祖母の家を引き払った日でした・・・ 

2日前の3月27日に、母と私と兄弟とで、
この家に行くのが最後になりました。
そしてお願いしていた家政婦さんとの契約解除をし、
私だけが、また一人になって
引っ越しの29日まで残る事に。
この時の私はまだ20歳でした。

母達が帰り、祖母とまた2人になりました・・・が、
以前のように、不平不満のストレスを私に
ぶつける訳でもなく、お互いに静かな時を過ごしました。

3月28日の明け方5時頃、2階で寝ていた私は目を覚まし、
ガラスの扉に青い光が当たっているのをぼーっと眺めながら、
これで本当に良かったのだろうか?と考えていました。

この頃は、ライ・クーダーのギターが気に入って買った
『ジョニー・ハンサム』のサントラCDを
よく聴いていたので、そのメロディーが
ぼんやりと脳内に響いていたのを思い出します(笑)

「本当に良かったのか?」と、
そんなことを考えても、母が決めたことであるし、
今更話を元に戻せないのですけれども、
この家で50年以上もの時を過ごした祖母のことを考えると、
内心は複雑なものがあるのです・・・ 

その日は寒かった記憶があり、
夜は近くのコンビニへ(ガスで煮て食べる)冷凍の
「鍋焼きうどん」を買いに行きました。
大学生と思われる若い男性二人が、レジで
日頃の不満をぶちまけているのを耳にしながら、
私もこれからのことを思い、
悩んで帰ったのを覚えています(苦笑)

祖母の家の荷物の殆どは、既に片付けも終えました。
ただ、不要なものは、そのまま残しておいてよい
とのことで、かなりの(相当に古い)モノが、
そのままという感じだったかも知れません。
もう泣いても笑っても、明日が最後です・・・ 

3月29日も、前日とちょうど同じ頃に目が覚め、
青い光が当たっているガラスの扉を
ぼんやりと見つめました。私も幼少時代から
沢山の思い出がある、この家の本当の最後の日の朝です。

近所のおばあさん達が、餞別を持って来てくれて
「(この世での)本当の最後の挨拶」をしたり、
朝から忙しく、昼過ぎには引っ越し業者も来て、
必要なモノだけあっという間に運び終え、
慌ただしい中に父母が祖母を車に乗せ、
この後の用事のために私一人を残して去って行きました。

家の中が静まり返った頃、東京電力の係員が確認に来て、
電気を止める処理をし、後に水道屋が来て
「もう御使用にならないんですね?」と確認して、
水も出ないようにして行きました。

夕方も薄暗くなった5時頃、父母が車で私を迎えに来て、
本当に最後となった家の中を私と母とで一回りし、
お別れをした日でした。
残して来たモノも多く、今考えると、
ちょっと、もったいなかったですね(笑)

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